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ひろちゃん4649

Author:ひろちゃん4649
ひろちゃんのブログへようこそ! 
この主、会社を定年退職して5年。なけなしの年金を頼りに果樹栽培とこれに発するところの遊びを楽しんでいる、青春真っ只中のおのこじゃ。近所の遊び仲間と遊び歩いているから、遊び方を知りたい人は時々ご来訪を! 
オット 忘れていた。果樹栽培はワシのビジネスだから、そのうち収穫できるようになったら是非とも試食してみてくれ。

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富部三郎家俊
 御厨公民館主催の文化講演会「木曾義仲と戦った富部三郎家俊」。 講師は長野郷土史研究会の小林会長だ。平家物語を途中まで読み進んでいたワシとしてはこれを聞き逃す手はない。


 ワシの住んでいるところは御厨(みくりや)という。40年くらい前までは篠ノ井の駅からタクシーに乗って「戸部(とべ)の・・・・まで」といえばワシの家の近くまで来たもんだ。御厨という地名は日本中に結構多いが、これは伊勢神宮の荘園を指しているらしい。ワシの家の直ぐ近くに伊勢社がある。「戸部」というのはここに住んでいた武士「富部」に由来していて、その「富部三郎家俊」という名前は小さい頃からよく耳にしていた。もっとも富部を「とんべ」と聞いていたが。




H221120御厨公民館文化講演会


 富部三郎家俊は木曾義仲と「横田川原」で戦った。篠ノ井には「横田」という地名が残っている。国道18号に「横田」という交差点があるが、そこらあたりですよ。平家物語に出てくる「横田川原の合戦」の段はここの戦さを指している。源平盛衰記では「信濃横田川原いくさの事」という段になっているんだそうな。


 聞いてきた話をかいつまんでいうと、平家打倒の旗を掲げて立ち上がった木曾義仲とその軍勢は、清盛が亡くなった治承5年の夏、平維茂(紅葉狩に出てくる鬼女た退治した)の子孫で城太郎平資職(じょうのたろうたいらのすけもと)の軍勢と千曲川をはさんで対峙した。千曲川を渡っての戦いの中に、源氏の方より上野国より西七郎広助、平家の方より富部三郎家俊が名乗り出て戦った。その直前に笠原平五頼直と共に上野の武士団高山党と戦って疲れていた富部三郎家俊はついに討たれてしまう。


 富部三郎家俊の家来に杵淵小源太重光(近くに杵淵という地名が残っている)というつわ者がいて、これが西七郎広助を討ちとるのだが、敵に囲まれ太刀を口にくわえて馬より飛び降り自害する。この戦さで木曾義仲は井上九郎光基(須坂市に井上という地名あり、謡曲「柏崎」の道行に出てくる)に命じて、赤旗を掲げて城太郎陣営に近づき油断させておいて、突如白旗に換えて混乱した敵を越後に追っ払う。これが木曾義仲の最初の大勝利となり、その2年後に義仲は京都入りするのだ。


 小林先生の話は木曾義仲の年表から始まり、源平盛衰記の合戦の話しへと展開して、まるで講談を聞いているように一時間半が一気に過ぎた。面白かったゾ。平家物語では赤旗を白旗に換えて源氏が勝利した横田川原の合戦を、平家が源氏の蜂起を他人事のように見ていた例として取り上げているだけだから、ワシはかなり欲求不満になっていた。その欲求不満はかなり解消したが、次は源平盛衰記を読みたくなったナ。Butだ、その前に平家物語下巻を探しださなきゃ・・・



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信州川中島の風景 | 22:42:34 | Trackback(0) | Comments(0)
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