投稿日:2008-08-28 Thu
午後から雨が降り始めた。久しぶりの雨での農休みでやることはいろいろあるが、その中で今年は「源氏物語」を読むという目標を思い出した。作家の翻訳を読むか、それとも文学者によるのを読むのか先日来、悩んでいたところだ。作家の訳本を読むなら本を買ってこなければならない、が、文学者の「源氏」であれば、どこかに全集ものがあったはずだ。そう思い出して、久々に書庫に入って探してみた。ようやく探し出したのは、「新潮日本古典文学集成」という全集ものの中にあった。昭和51年発行、石田穣二・清水好子校注の全8冊。各冊ともおよそ300ページくらいあり、改めて作品の大作ぶりを認識した。
重々しく第一冊目を開いて、「桐壺」を読み始めてみた。意外と読みやすい。凡例に書いてあるように、読みやすくするためにある程度の統一のもとで、仮名に適宜漢字を当てはめ、仮名づかいも多少改めてある。その上、句読点、濁点も施してあり、会話には「」と誰が言っているのか赤字で傍注してある。判りにくいところは小さく赤字で訳した文がそのワキに書いてあるし、判りにくい単語や文章・和歌には番号をふって頭注してある。そんなふうに読みやすく工夫してあるのだ。
しかしながら・・・・・
古典を読みなれていない昨今なので、目で活字を追うというより、頭の中で読んでいくという状況なのだ(残念ながら)。その上、傍注、頭注、図録を見ながら読んでいたらエライ時間がかかってしまう。今日だけでは「桐壺」も終わりそうも無い。ということは雨の日や、農繁期を終えて閑になってから読んだのでは何時になったら読み終えるやら、甚だ目標達成は怪しい状況になった・・・・・
投稿日:2008-08-19 Tue
お盆の時期を外して、セガレ夫婦が孫を連れて帰省した。3歳と0歳の孫の可愛いこと、暫時ブログの更新は休みだ。
投稿日:2008-08-13 Wed
今日は迎え盆、巷は休み、ワシは消毒。
袋を外して三日目、ほんのりとピンクに色づいた川中島白桃。ようやく船橋源氏(上・下二巻)を読み終えた。晴耕雨読とはいうものの、晴れてばっかりいるから、なかなか読む時間がない。昼寝起きに少々読むというくらいだから、最初の方は忘れてしまった。
読書感想文なんて、小学校だったか中学校だったか、書いた記憶はもうすっかり忘却のかなたに沈んでしまった。徒然に書き綴ってみよう。
そもそも何で源氏物語か? 勘の好い方は「今年は源氏物語一千年紀」と気づくだろう。しかしながらワシの発心は謡曲だ。どこかの本に源氏物語に取材した謡曲は十数曲あると書いてあった。さあらば、源氏読まずして謡曲なし!と思った次第だ。最初に読んだのは円地文子の現代語訳、宇治十帖を中心にした文庫本だった。だからこれは二冊目だ。
一千年もの間、読み継がれてきた小説だけあって、面白いモンですなあ。主人公の光源氏の女垂らしというか、優柔不断というか、そういう性格は好きでない(似たもの同士は反発するというか)が、平安時代の風俗というか生活がわかって面白い。あの頃は貴族が贅沢に暮らすというのが、庶民の生きる糧を提供するという側面があったんですナア。
今は死語になっているような言葉がいっぱいあるから、原文を読んだらさっぱり判らないと思う。船橋源氏には先人のいろいろの解釈も載せてあるし、わかりにくいところは書き加えてあるから、読みやすい。ちなみに恋文の遣り取りなどに和歌がふんだんに出てくるが、目で追うのでなく、声に出して歌を詠んでみると何となく判る、その上で付記してある訳者の解釈を読むと、そうかソウカとなる。
それにしても平安の昔は、ぼかして書くとか、言うとか、が中心だったんですナ。近代から現代に従って、特に戦後は、はっきりさせないと伝わらないという文化になったンですが、昔はボンヤリとしたモンだった。だから訳者はそこを現代風に補わないとイカンので大変だと思う。だから与謝野源氏とか、谷崎源氏とか、いろいろに解釈して訳本がでたというわけだ。逆な言い方をすると、紫式部の源氏物語は「超」大作なんです。現代の作家が、原文に出てくる一人の人物に的を絞って訳しただけで、一冊の本になってしまうくらいなんですナ。
そういうわけで、次は本格的に全五十四帖に挑戦ということになるが、ここに悩ましい問題が出てくる。文学者が研究材料という形で現代語訳したモノか、作家が自分の解釈を容れて書いたモノか、どちらを読むかという問題だ。
ワシは古本屋が専門であるが、既に古本屋で下見してあるが、全集モノは原文と訳文を並べてあって、全10冊1万円とかであった。これを読破すれば、「ワシは源氏物語を読んだぞ」と胸をはれる。現代作家のモンでは、戦後暫くしてから翻訳出版されたモノを読むべきだと思う。というのは、それまでのは例えば、藤壺中宮と光源氏との不倫のところなどはカットされているらしい。訳本なども1セットで1万くらいだ。こちらは多分、「ワシは○○源氏を読んだ」という言い方をしなきゃイカン。
どちらでも古本屋ではアレコレ選ぶ余地は余り無いようだが・・・・
投稿日:2008-08-08 Fri
先日来、導入を検討していた太陽熱給湯システムが、今日半日の設置工事で我が家に実現した。急激な原油の値上がりと、地球の温暖化への危機感(カッコウ好いネ)から、購入したのは農業機械展で展示されていた株式会社サンジュニアの太陽熱給湯システムだ。これは屋根上に置いた集熱器に不凍液をまわし、温度の上がった不凍液を蓄熱槽で水を温めるのに使うというやり方だ。不凍液を使うのは、冬場に凍結してしまうのを防ぐためだ。サンジュニアはこの不凍液を使う方式で、28年前から長野県を中心に販売実績を上げてきた会社だそうな。ワシの周囲で、サンジュニアという名前が太陽熱温水器の代名詞のように使われていたので、選ぶのに躊躇無かった。最近は営業範囲を長野県から、群馬県、栃木県にも広げているそうだ。
宣伝費をサンジュニアからもらっていないが、なかなか気に入った会社なので少し持ち上げてやりたい。気になる人は↓のホームページを見てください。
http://www.sunjunior.co.jp
もとより年金生活者は厳しい収入の中でやりくりするわけだから、元利合計78万円の支払いは、頭金なしの5年ローンで月額約14千円少々だ。宝くじで当てて早くこの借金を返して、次は太陽光発電にしたいもんだ。
集熱器パネル3枚
奥の細長い筐体は蓄熱槽(360リッタ)。その手前の低い筐体は既設のボイラ、その上の小さな四角い箱はスカイブレンダー(蓄熱槽の湯温が設定温度以上であればボイラを運転せず、以下であればボイラを運転して給水温度を設定温度にあげる)。投稿日:2008-07-24 Thu

我輩は猫である。名前はタローという。平成2年に先代のご主人に拾われて、この家に住むこととなった。爾来18年、今の主人に替わってからというもの、特に不自由ということはないが、強いて言えばこの主人がわがままなことだ。
我が家の猫はしかし、可哀そうな猫だ。名前はタローというが、人間の齢に換算すると優に100歳は超える、そろそろ化け猫と言っていい年齢だ。この猫は可哀そうだ。何が可哀そうだと言って、笑うということを知らないのが可哀そうだ。
すべからく、いきとし生けるものは喜怒哀楽というものが備わっているはずだ。それなのに我が家の猫は笑うということがない! 愛犬モモでさえ、頬の筋肉を緩ませて、餌が目の前に出てくるのを待っている。それなのにタローはくすぐってやっても、なぜてやっても、餌をやっても笑わない。生真面目な顔をして、本気でワシの前にいる。先日、携帯のストラップを目の前でじゃらしてみたら、本気になって爪を立ててストラップを取りに来た。じゃらし方が上手だから、なかなか爪に引っかからなかったが、勢い余ってワシの指に爪が食い込んでしまった。
「イヤ〜 ワリイ、ワリイ」と照れ笑いでもすれば可愛げがあるが、このときも平然としていた。この猫の血液型はA型に違いない。何ごとにも真剣に取り組むのは良しとしても、たまにはリラックスして、へぼった時は苦笑いするとか、頭をかくとかすれば可愛いではないか。
何とかして、タローに笑うことの楽しさを知ってもらいたい。そうすれば極楽往生間違いない。誰か、タローに笑うことの喜びを教えてやって欲しい。
△ PAGE UP



